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Channel: 陶志朗 暮らしの記録
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子供のころの秋の思い出。

田舎の秋は稲刈り。

これに尽きる。

当時は今ほど早くなかった。

今は9月にすべて終了してしまう。

というのは当地方の特産の黒豆の枝豆が9月下旬から10月一杯すごく忙しくなるから。

以前はそんなことはなかった。

2毛作で冬に麦を作っていたのでそれの刈取りが4~5月になり、そのあと田植えをしていたので刈り取りはどうしても今の時期になる。

機械などないからすべて手作業。

私も小学校の時から少しは手伝った。

稲を稲刈り鎌でザクザクっと刈り取り、数回分を重ねて束にする。

それを藁でくるくるっと括って、一把(わ)出来上がり。

10把ぐらいを先を結んだ藁でくくって一束(そく)出来上がり。

ゴム車輪の付いた大八車で稲木まで持って行って掛ける。

引くのはじいちゃん、押すのは母。

私は引き綱で前を引く。

遠いところの田んぼは大変だった。

掛けるとき、私は下から一把づつ放り上げる役。

父は国鉄職員で都会に単身赴任。

稲がある程度乾燥したら脱穀機にかける。

うちのは機屋(冬は機(ハタ)織り、蓆(ムシロ)織をするところ)にそれが置いてあって、年に数回のために大きな場所を取り、でんといた。

脱穀は少ない活躍の時だから、もうもうと埃と轟音をまき散らしてよく働いてくれた。

脱穀もじいちゃん。

私はその埃が苦手でほとんど手伝ったことはない。

そのあとむしろに広げて庭先で日に当ててさらに乾燥する。

天気が良ければ早いが、悪いと大変。

雨が降りだすと何枚ものむしろを直ぐに畳んで仕舞わないといけない。

これが気を使う。

乾燥具合もじいちゃんの経験だけ。

そうして仕上がったら、もみすり屋さんを待つ。

発動機の付いたもみすり機で一軒一軒回ってくる。

そうしてもみすりが終わったらやっと一件落着。

稲刈りから運搬、乾燥脱穀終了まで肉体を極限まで使っての作業だった。

今はそれに比べれば機械に頼ってできるので極楽である。

昔、稲木に干しているときにすでに霜が降っていた覚えがある。

最近の好天と同じような真っ青な秋晴れの日の朝は霜が降っていて、その中で稲の取り込み作業をしていた。

当時は気温が低かったのか、作業が11月にかかっていたのか定かではない。

これが終われば、田に畝を立てて麦を撒き、冬は寒風に吹かれながら麦踏をした。

稲木のイメージ写真
私のうちではこんな感じの稲木を使っていた。
台風が来ると倒れそうになり心配だった。
実際倒れたこともある。

イメージ 1

今日の秋晴れ。
昭和30年代の秋もこんな空だった。
地区の小学校と、隣の神社&杉の大木。
遠くの山々のつらなりが美しく見えている。

イメージ 2



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