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Channel: 陶志朗 暮らしの記録
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第13号車

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昨日和歌山方面に。

廃車体をさがしながら走ったが、全く見つからない。

あんなものどこにでもあると思っていたが、意識して探すと今度は見つからない。

下北山村の建設会社の資材置き場のような空き地で眠っているものをようやく発見した。

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初の三輪車。

私は小さい頃三輪車を「ばたこ」と呼んでいた。

バタバタうるさい音を立てて走るからだろうか。

近寄ってよく見ると前輪の上のグリル下にはMAZDAと書いてあった。

それで東洋工業(マツダ)の車と判明。

トラックには全く詳しくないので調べると、Tシリーズというもののようだ。

☆マツダT1500

1957~1974

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このTシリーズは始め空冷2気筒の1100ccのT1100で始まり、1959年に水冷直4、1500㏄のT1500にモデルチェンジ。

更に1962に2000ccのT2000に発展して1974年まで生産が続けられた。

オート三輪は多少不安定なものの小回りが利き、狭い路地の多い街などでは荷物運搬にとても重宝がられたようだ。

私が生まれ育ったところは山が多く農山村というところ。

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当時は木の値段も高く林業でも利益が上げられた時代、あちこちに製材所が有った。

一番近所の通学路にある製材屋さんでは、この車かどうかはわからないが三輪トラックで木材を運んでいた。

かすかな記憶だが、丸太を満載にして走っているのを思い出す。

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今考えると3輪では不安定でスピードもそれほど出せなかったと思うが、それはそれでよかったのだろう。

最終のT2000は時速100km出せたそうだ。

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初期の1100cc空冷2気筒では材木を積んだら、ちょっとした坂を上がるのも大変だったろうと思う。

また舗装されていない道も多かったので、ぐらぐらして安定は悪かっただろう。

これはターンシグナルの形状からT1500らしい。

そうすると製造されたのは1959年から62年あたりまで。

仮に62年物で20年間働いたとして82年。

以降放置となると約35年。

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ドアには建設会社の社名らしいものが書き込まれているので、作業運搬車として活躍していたのだろう。

土砂やセメント、木枠なども運んだのだろうか。

これは、天井が抜けているし、車体より下側の足回りなどがかなり痛んでいるように思える。

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再生は困難 Bレベル



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